水墨画における虚実関係

水墨画における虚実関係

水墨画の話になると
虚実関係を避けては通らない重要なことではあるが
現に無視されているケースが多い。

虚実関係がわからなければ
いい水墨画とはなにかも
当然理解できない。


現代日本の水墨画作品を見ると分かるように
この「虚」について
わからい人(画家)や苦手な作者が
如何にも多いことにすこし驚く。

なにも今のことではなく
雪舟の作品を見てもそう感じている。
「虚」の表現ばかり画面に
表わしている。

この二つの作品を比較してみなさい。

夏珪「渓山清遠」

雪舟「山水長巻」

「虚実」関係の把握について
その違いは明らかだろう。

雪舟の場合
はっきり描いている部分が多すぎて
硬直すら感じている。


墨使っても
毛筆を使っても
画仙紙を使っても
同じ「水墨画」を目指しているに限らない。

これは大きな「壁」になっているかもしれない。

同じ漢文化を共有する日本と中国でも
この壁は決して無視できるような話ではない。

書の世界では宋・蔡京(1047-1126)の書について
「…書道の達人であり、
宋代の蘇軾・黄庭堅・米芾と合わせて四絶と称された」
中国ではそれなりの評価があるが(人格・人品は別として)
日本の昭和時代の書家石川九楊によれば
「とめ、はね、はらいが上手く出来て居ない」
と酷評するのだ。

とめ、はね、はらいができていない?

王羲之もダメだと言っているのと同じだ。

石川九楊の書、
あるいは日本の書は中国の書と違って
日本人は全く別の「書の世界」を見ているのか?

ほんとにどこまで中国文化を理解しているのか
疑われざるを得ない。

虚実関係は「六法」の気韻生動に
関係するだけでなく
作品構図の全体にも関係している。

しかしじっさい虚実関係を論じる文章が少なく
美術史の場合、
むしろわざっと避けている傾向がある気がする。

なぜ避けている?
それはあまりにも実技に関係しているからだろう。

水墨画の画筆を握ったことすらない
彼らにとって雲をつかむようなことだ。

しかし伝統中国絵画の画論を見ると
虚実関係をなくては絵画が語れない。

虚実は中国伝統絵画において
重要な技法専門用語だ。
その由来は先秦時代の老壮哲学で
「虚」は空白、疎らなことだが
「実」は細かく、密集すること。

言葉だけでは簡単そうに聞こえるが
実際どうとらえるのか人によって様々。

「虚」がわかれば空白、疎らなことに限らない。
「実」がわかれば細かく、密集することに限らない。
「虚実」筆墨や濃淡・色彩など
画家によってあらゆる手段を駆使するのだ。

いわゆる「形神兼備」にも表している。
空間や構図全体にも表している。
「形」に実で、
「神」に虚にあたると言ってよいだろう。

「虚実」関係がわかれば
水墨画の真諦(しんたい)がわかる。

この「虚実」関係によって
中国絵画(水墨画)を構築するのだ。