水墨画を習うなら「四君子画」から?


 四君子(しくんし)とは蘭、竹、菊、梅の4種植物を
草木の中の君子として称えた言葉です。
君子は(中国では)道徳的にりっぱな人物を
指していますが、
本来君子という言葉の意味は
一般民衆よりも上に位置する、
治政の立場に足る人(つまり為政者)の称で
学識や人格ともにすぐれた。

君子の対義語は「小人」で、
凡人以下、道理や義に疎(うと)い人、
あるいは、
志よりも目先のことばかりを追いかける、
打算的な不仁者を指します。


中国語で君子は徳と学識、
礼儀を備えた人を指しているため、
文人はみな君子になることを目指した。


菊・竹・梅・蘭は、
古くからどれも高潔な文人高士に譬えて
描く花卉画の題材である。


(高士とは気高い人格のある立派な人、
あるいは俗世から離れた高潔な人を指す)
梅・蘭・菊・竹はいずれにしても
気品のある象徴です。


梅は花の最盛期が2月と
まだ寒さが厳しい時期のため、
寒風が吹く中、
凛と咲きほこる梅の姿から
文人たちに愛好された。


日本でも「上品」「高潔」「忍耐」「忠実」など
象徴されています。


よって四君子画は文人画の代名詞でもあります。
2月は地域によっては雪が降る季節。
関東でも寒の戻りがあります。

花は寒いなかで咲くと香り、
とくに冬は、気温・湿度が低く、
空気中の水分量や雑菌が減少するため、
空気がクリアになり
香りの分子が拡散しやすく
梅が甘く清々しい香りになります。


寒さのなかで花が咲くことは
「忍耐」が必要です。
「忍耐」はその情景から
由来しているようでしょう。



蘭は高い品格を象徴する花で、
「君子の高潔さ」「君子」「賢人」の象徴として
文人に最も好まれる花の一つです。
男子のみならず
女子は「蘭」を名前にした例も
たくさんあります。



蘭は「祖香」「香祖」と称され
他のジャスミン(茉莉)、
キンモクセイ(桂花)と合わせて
「香花三元」または「三香」といわれます。


 西洋では、蘭の色によって
その象徴的意味はさらにたくさんあります。


 竹は、常緑で倒れにくく、
真っ直ぐに伸びる竹は、
生命力を象徴する
おめでたい植物のひとつとされ、
日本ではお正月に飾る門松にも使われていますが、
中国では家内安全、
隠し事が無い、自制心、
慎み深い事を表現します。

誠実・自制心・透明・慈悲・永久・質素などの
意味を持っています。


 菊は日本人にとって古くから特別な存在で、
品位や品格の象徴があります。
また健康や長寿そして慈愛の象徴で、
菊が皇室の紋にもなっており、
吉祥文様などの大変縁起の良いものとして
中国でも同様に「高貴」「高潔」「高尚」の象徴です。
女子だけでなく、
男子も自分の名前を菊と付けた人が
少なくありません。


中国では、
文人の墨戯として宋・元代に流行しました。
日本においても江戸中期に将来された
『八種画譜』や『芥子園画伝』によって、
初期の南画や江戸時代の画壇に大きな影響を与えた。


 さて、四君子の中でも、
水墨画の題材として
描かれた歴史は墨竹が最も早く、
次に墨梅が続き、
蘭・菊はやや遅れているようです。


 元の李衎の『竹譜詳録』によれば、
墨竹は唐代に起こったもので、
晩唐の張立の墨竹の壁画や、
孫位の松石墨竹が紹介されています。


墨竹は既に唐代から描かれていたと解せられます。
北宋末の『宣和画譜』によれば、
墨竹の代表的な画家として、
五代の黄筌、宋代の文同、
崔白などがあげられ、
また北宋になって
墨竹が盛んになってきたことがわかます。


なかでも文同の墨竹は、
同時代及び後代の画家達に影響を与えていて、
蘇軾や元の李衎、柯九思、並びに高克恭や呉鎮も
文同の画風を学んでいます。


墨梅は、
北宋末の釈仲仁に始まると言われています。
同時代の詩人、黄山谷の詩に、
「雅聞花光(仲仁のこと)能墨梅。


更乞一枝洗煩悩」とあることからも、
かなりの評価を得ていることが分かります。
釈仲仁の墨梅の画法を
学んだ者として有名なのが、
南宋の楊補之があげられます。


そして、
「点墨」をもって花を描いた仲仁と異なり、
楊補之は「円圏」をもって花を描いたと言われ、
墨竹における文同のような地位を占めていて、
後代の画人に影響を残しています。


また宋の宗室である趙孟堅は、
水墨白描の水仙・墨梅・墨蘭の大家として
知られていますが、
墨梅研究には熱心で楊補之に
傾倒していたことが分かります。


楊補之の画風は、
墨梅だけでなく、
後代の水仙の画法にも影響を
あたえているのです。


元代に入ると、
墨梅を描く者は少なく、
墨竹派の比ではなくなったが、
王冕の墨梅は最も著名で、
その技が繁く花の多い構図と柔らかく撓み、
伸び伸びとした技の運筆は、
明清の人に好まれて受け継がれ、
墨梅は墨竹と対峙して
一家を成すに至った。


 墨蘭と墨菊は
その由来するところは明らかでないが、
北宋の米芾にさかのぼって伝えられています。
元初の管道昇は
墨竹・梅・蘭をもって有名で、
明代に至っては計礼、
黄色翊の墨菊はつとに有名でした。


晋(南北朝)の陶淵明の「採菊東籬下、
悠然見南山」(菊を采る東籬の下、
悠然として南山を見る)が
知られる名句です。


菊が晩秋の寒さの中で鮮やかに
咲く姿が好まれた。
菊が絵に登場したのは、
少なくとも五代十国の時代といわれています。

菊の品種は3000以上あり、
宋の時代から民間では年に一度
「菊の会」が開催されたという。


文人画を称揚した蘇軾(蘇東坡)が
画家の趙倡が描いた「寒菊図」に
題字したという話があります。


明代には徐渭など、
清代になると、
画家の金農、辺寿民、
近代の虚谷、呉昌碩などが
様々な手法を用いて
大きく発展させました。
 


 ▲徐渭の菊             ▲虚谷の菊


(▼作者が書いた四君子画)
紅梅
墨竹